昨日の意見交換、お疲れ様でした。
石川、福井から初めての方も含め、大勢の方々からご参加頂き、酒田さんの事前の準備、本当にお疲れ様でした。
皆さん、一般市民というより、それなりの市民運動歴を持った方たちばかりで、発言も皆さんの考えがよく伝わるものでした。
それだけに、私自身、今までうすうす感じていたことではありますが、非常に驚いたことがあり、それについて感想を書かせてもらいます。
私が非常に驚いたのは、冒頭の私の説明、「原発事故直後の最大の課題は、いかにして初期被ばくを避けるか」にあることは参加者の皆さんはご理解いただいていたと思ったのです。なので、だったら、そのためにどうすることが可能かについて、切実な関心が示されると思ったのです。つまり、いかにして初期被ばくを避けるか、そのためには具体的に、原発から放出されたプルームの流れる方向を察知し、それを避ける避難経路を選択することに切実な関心が示されると思ったのです。
それについて、行政が機能不全に陥ってしまい、避難した住民が高濃度のプルームで被ばくしてしまった福島の経験を踏まえ、私たちは、原発事故になれば行政は機能不全に陥る、だからその現実に踏まえて、上記の問題を解決する必要があり、それについて市民主導型の解決方法があることを大庭さんが実際に示したのです。
もし私が福井でこの問題で悩んでいたなら、大庭さんの提案は天啓、啓示と言わんばかりの救世主の話です。しかし、昨日は、大庭さんの提案に対し、聞いていた皆さんから、何のリアクション、喜びの声もあがりませんでした。それが私には非常にショックでした、皆さんは、初期被ばくをどうやって避けたらよいのか、福島の痛恨の被ばく体験が明日は我が身で自分たちの身に降りかかってくることに、関心はないんですか、と。
他方で、熱心な活動をしていると思われる方から、「SPEEDIを再度使えば事故になっても問題ない」といった発言されるのを聞き、いったい、福島原発事故で、政府がSPEEDIの使用をどれくらいためらったのか、その中で、今後はSPEEDIは使わないと不退転の決意をしたのか、知らないんでしょうか、今後、我々が要求しても政府は簡単に不使用の方針を変更するなんてあり得ないことをどこまで理解されているのでしょうか、と思いました。
この2つのことから即断は禁物なのですが、私が、石川、福井で熱心に反原発の運動をしている人たちに感じた印象は、皆さんは、実際に原発のすぐそばに住んでいながら、いざ、原発事故が発生したら、どのような事態になるのか、①、原発自身の事故の過程と、②、国、県の対応、③.地元住民が受ける被害について、チェルノブイリと福島の2つの生きた経験に基づいて、リアルなビジョンを持っていないじゃないかということです。
国は、住民がリクエストすればSPEEDIを再開してくれるとか、幻想の中で生きているように思いました。安定ヨウ素剤の配布だって、国も県も決してしないという確信がない。それは現実にヨウ素剤を配布しなかった、それどころか配布した自治体(三春)に回収を命じたチェルノブイリと福島で、国の真意がどんなものか理解しようとしない(私の理解では、チェルノブイリでも福島でも大惨事寸前までいったことを権力者側は熟知しており、彼等はこの大惨事に備えて、政府高官や大企業の子弟が暮らす首都や大都市のためにヨウ素剤を待機していた。七沢潔「原発事故を問う」57頁参照)。
もし石川、福井で原発事故が発生したら、その後の大惨事に備えて、ヨウ素剤は京都、大阪、神戸の大都会の子弟のために優先的に保管されることになるというのが私の理解です。権力者の本質「自分たちファースト」は大惨事の時、赤裸々に出るからです。
ここから本題なのですが、問題は、熱心に反原発の運動をしている人たちは原発のすぐそばに住んでながら、原発事故が発生した時の避難行動に、なぜ、かくも無関心なのか、です。
最初、私は、素朴に、原発事故は桁違いの過酷事故で、これを受け止めるのは並みの神経では困難だからと思いました。しかし、すぐ目の前に原発があり、いつ、能登半島地震並みの大地震があるかもしれないと思うとき、原発事故になったらどうやって避難するか、必死に考えないでおれないと思うのです。にもかかわらず、どこか、その方向に心が向いていない気がしてならなかったのです。
つまり、原発廃炉に人一倍熱心でいながら、他方で、原発事故からの救済に、どこか「心ここにあらず」、まるで夢の中にいるようなリアリティ喪失を感じたのです。
そこで、いったい、彼らをこのように、原発事故からの救済に無関心にさせている理由、原因はもっと別のところにあるのではないか、と思い、それについてつらつら考えていて、1つ思い当ったことがあります。
それは、能登半島地震のあとの反原発の人たちの行政交渉の話を聞いていると、「今回の能登半島地震で、原発事故が起きたら、周辺住民は避難できないことが分かった。だから、原発は廃炉にするしかない」と行政に熱心に訴えているのが聞こえてきたことです。
この理屈で行くと、「昨日の大庭さんの市民による自主的測定システムを作ると、初期被ばくを最小に抑えられて避難することができる」なんて話は、或る意味で迷惑な話なんです。彼等は一生懸命「もう避難はできない」と訴えているのに、大庭さんは「いやいや、まだまだやれることはある」と。俺たちの反原発運動に水を差すような話はやめてくれ!となると思ったんです。
そのことに気づいたら、確かに、大庭さんの話は反原発の上記のロジックをグラグラさせるもので、迷惑千番なんだろうなと合点がいき、道理で、昨日、「そのアイデアは素晴らしい!」なんて感嘆の声があがらなかったんだと思いました。この意味で、日本版のやっていることは、反原発の人たちの目には「俺たちのロジックに水を差す、妨害の活動だ」と写ります。日本版は反原発と両輪の輪どころか、妨害者と捉えられると思いました。
で、反原発の上記のロジックは、どこかねじれている、おかしいと思いません?
それで、私がふと思ったのは、これはかつての左翼の運動論「窮乏化革命」の焼き直し版じゃないか、と。つまり、ザックリ言って、資本主義のもとで、窮乏化が進むほど人々は立ち上がり、社会革命が訪れる、といった考え方を原発に応用してるんじゃないか、今回の大地震で、原発事故から避難は不可能であることが判明した(窮乏化した)、だから、もう廃炉(社会革命)しかないと迫る。
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私がもともとこの「窮乏化革命」に違和感を持つのは、アフガニスタンのように市民が困窮のどん底に追いやられればやられるだけ、アフガニスタンに社会革命が訪れるのか、実際は正反対だろ、独裁者がますます羽振りを利かすだけで、何一ついいことはないと思うからです。それじゃアフガニスタンはダメなんで、やっぱり中村哲医師みたいに、窮乏化に抵抗して、命、健康を守る運河を作る人権運動と取り組まなければならないと思ったのです。
これと同様に、原発事故が発生したら避難は不可能だなんて簡単に言うべきではなく、どうしたら避難できるか、たとえどんなにお金がかかってもそのための現実的な計画を立てるための努力をすべきなんです。原発事故に抵抗して、命、健康を守る市民測定システムを作る人権運動と取り組まなければならないと思ったのです。その上で、さらにこう思うのですーー大庭さんの市民測定システムを作って、実際に、これが作動して、いざ原発事故が起きた時に、ちゃんとプルームを避けて避難できたとしても、それは「攻撃が見えない沖縄戦」であり、沖縄戦を生き延びた人たちみたいに、実に苦難に満ちた避難行動と避難生活になるはずです。そのとき、命、健康を守るために、こんなに大変な思いをしなければならなかったのかと逃げ延びた人々は思い、そこから、原発(戦争)なんて要らないと確信すると思うのです。
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それをせずに、「原発事故から避難は不可能であることが判明したから、もう廃炉しかない」と口先だけ唱えるだけで、なんら初期被ばくをさける具体的な避難行動を提起しないんだったら、いざ原発事故が起きた時には、多くの住民の命、健康が失われるのです。廃炉の大義名分のために人々の命、健康を見殺しにするのがこのロジックです。そして、このロジックは13年前にも唱えられたんじゃないかと思いますーー「福島原発事故であれだけ人々はひどい目にあったことがが判明したから、もう廃炉しかない」と。これって、ややもすると、まるで福島原発事故で多くの住民の命、健康が失われたおかげで、自分たちの廃炉の主張が成立するかのように聞こえる。さらに、これを突き詰めると「原発事故で人々がひどい目に遭えば遭うほど、廃炉の実現は近づく」ことになりかねません。それだったら、まさに「人々が窮乏化すればするほど、社会革命は近づく」という窮乏化革命の焼き直しです。
そして、これこそ、自分の主張の実現のためには手段を選ばず、味方を増やし、敵を追い込む、という政治のやり方です。アフガニスタンの窮乏が人々を分断させたように、上記の原発事故による窮乏化も人々を分断させます。なぜなら、人々がひどい目に遭うことを放置し、利用することにさえなりかねないからです。でなかったら、昨日の大庭さんの避難のアイデアに反応しないなんてありえない。
最後の一文は、ちょっと飛躍があるかもしれませんが、ともあれ、酒田さんや山崎さんが、福井で感じておられるという閉塞感が何となく、分かった気がしたのです。この閉塞感は単に原子力ムラとの関係だけではなく、反原発の運動との関係から、むしろこちらのほうが大きいんじゃないかと思いました。
この政治と人権の対立は、日本版の本質的なテーマです。酒田さんが、署名集めに、地元住民の人たちの所に行って、ひとりひとりにお話をし、そして彼等の悩みや願いのお話を聞くというのは、素晴らしい取組みだと思いました。運動家ではなく、普通の市民の悩みや願いをすくい取り、カタチにするのがひとりひとりの人権を守るための日本版の真骨頂です。どうか、ぜひ頑張って下さい。
長々と取り留めのない感想で、失礼しました。
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