もう一方で、昨日、福島で311を経験した方からの次のような感想にも、正直、違和感を覚えました。
「どこに逃げようたって、道路が一本しかなけりゃあ、そこを逃げるしかない」
でも、道路って必ず分かれ道に出ます。そこで、どちらに行くか選択が求められる。その時、被ばくの高いほうに向かうのか、低いほうに向かうのかで変わって来る。
なのに、上記の発言は選択なんてする余地がないかのように、お手上げみたいに聞こえる。これって、パニックに陥ってるんだと思うのです。つまり、原発事故になったらパニクルしかないと言っているのにひとしい。でも、それってちょっと違うんじゃないかと思いました。
昔、柄谷行人という人が講演でポーの「大渦にのまれて」という小説を紹介してたのですが、それは、
船が渦巻きに吸い込まれて難破して、どんどん渦の中心に巻き込まれていく。船に乗った主人公は、そこで「体積の大きいもの、球状のものは早く渦の中心に落下して行くのに、円柱状のものは飲み込まれるのに時間がかかる」ことに気付く。兄にそれを伝えて共に脱出しようとするが、恐怖で錯乱した兄は言う事を聞かなかった。主人公は覚悟を決め、一か八かで円筒状の樽に自分の体を縛り付けて海に飛び込んでいく。船と兄はそのあとすぐに渦の中心に飲み込まれてしまったのに対し、円筒状の樽は飲み込まれずに留まり、渦が消滅するまで持ちこたえることができた‥‥という話でした。
これについて、柄谷行人は、大渦の中にいるとき、人は恐怖で錯乱しがちであり盲目的になってしまう(つまりパニクってしまう)。ただ、その中にあっても、なお、どのように大渦が物を巻き込んで行くのかを考えることはできる。だからといって、それで渦巻きを止めてしまうことはできない。しかし、その中もまだなお出来ることがあるのではないかと考えることはできる。それが「円柱状のものは飲み込まれるのに時間がかかる」という発見です。それを見出すことで、渦から少しでも逃れることができる。
これを読み、そうだ、「たかが考察(パンセ)、されど考察(パンセ)」だと思いました。
ここではこの考察が、大庭さんの市民測定システムの思想です。市民測定システムを持ち、これを活用したからといって、自分たちに襲いかかるプルームを撃退し、はねのけることができるわけではありません。しかし、プルームの居場所と今後の予測について、かなり正確なデータを市民測定システムから手に入れることができる。
仮に自宅前の道が1本道だとしても、その先の分かれ道でどちらを選択したらよいか、その決定のための情報を提供するのが市民が自分たちで作る市民測定システムです。
まさに「たかが市民測定システム、されど市民測定システム」です。
いざ原発事故が発生したら行政が機能不全に陥るのは想定の範囲内です。そして、市民がパニクる寸前の状態に陥るのも想定の範囲内です。しかし、たとえ行政が崩壊しても、なお市民の手でやれることがあり、それを事前に準備して、将来に備えるのが、いざという事故の時に「恐怖で錯乱した兄」みたいパニックに陥らずに、初期被ばくを最大防御することであり、それが福島の痛恨の経験を活かすことだと思うのです。
なのに、昨日のお話で、実際に福島を経験した人自身が、その自覚に至っていないことを、実感したのです。
その意味でも福島原発事故はまだ殆ど客観化されていません。そして、福島原発事故で経験した3つの経験→①、原発自身の事故の過程、②、国、県の対応、③.地元住民が受ける被害を、反面教師的に正しく汲み取らない限り、原発事故の正しい救済のあり方も見出せないと思いました。とりわけ②の国、県の犯罪的な対応を踏まえて、それを二度と反復させないような人権保障のルール作りを構想しない限り、また、子ども被災者支援法の焼き直し版になるだけです。正直に告白しますと、そうした取組みは実はまだここ最近始まったばかりで、その意味で、チェルノブイリ法日本版のリアルな具体的な中身はまだ掴めていないんです。
以上、自戒の念を込めて思いました。
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