2015年6月18日木曜日

数学の勉強について(1993.12.15)

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91年9月、私は40歳の誕生日を区切りに店じまいをし、ニセ・チンピラ学生として数学の勉強を始めた。
 そこでまず出入りしたのが応用数学の甘利俊一さんのゼミだった。他方、京都の森毅に振られたあと、たまたま彼の友人でやはり応用数学の山口昌哉さん()と知 り合い、彼が上京する度に会って、いろんな話を聞かせてもらった。その中で、一番印象に残っているのが次の言葉だった。
「ねえ、柳原さん、数学の勉強って、やっぱり独学ですよ」

私は、やっとめぐり合えたと思った数学の師から、 数学を学ぶ原点について、再び振り出しに押し戻された思いだった。
 
その原点に戻って取り組んだものの、しかし、私の数学との取り組みは難航し、ちょっちゅう難破し、その都度思わぬ目にあった。そして、2年後に、もう一度隊列を立て直して、数学と取り組む腹が決まったので、その旨を山口さんに書いたのがこの手紙です。

)1925〜1998年。京都生まれ。京都大学数学科卒業。京都大学工学部教授、理学部教授、理学部長をへて同大学名誉教授。理学博士。専攻は非線形数学、ことに非線形偏微分方程式の数値解析。生物科学や社会科学への応用にも関心が深かった。父親は日本画家の山口華楊。
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 山口昌哉 様 

 山口先生、小森さん宛ての手紙で書きましたように、私はこれからニセ学生に出来るかぎり専念します。そして、世に言う《数学》、私にとって近代の 《言語ゲーム》のひとつにすぎない《数学》を自分なりに叩きのめすために、 それを目指してやれるだけやろうと思っています。それはまさしく生意気で、 可愛い気のない「破廉恥、無節操、無責任」な心構えかもしれません。
 しかし、私はこういうふうにしかやれないと自分でよく分かりましたので、 今後はもう、お行儀よく、おとなしく振る舞うことはやめました。
 そして、今後、この《言語ゲーム》としての数学を学ぶとしたら、それは、 専らこの《言語ゲーム》としての数学の規則を破るためにだけ、その規則を学ぶ積りです。

 それで、私は、この「数学の規則を破るためにだけその規則を学ぶ」ために 、ちょうど『古怪』の宮沢賢治や中上健次に相当するような作家と近代小説の枠の中で抜くぬくぬくと小説を書いている作家どもをきっちりと区別したいよ うに、『古怪』の岡潔やそれに匹敵する数学者と、《言語ゲーム》としての数 学の規則の中でぬくぬくと数学しているだけのそれ以外の連中とをやはりきっちりと区別したいのです。

 そこで、また厚かましくも、岡潔に匹敵するような数学者(例えば、リーマ ン)の著作を紹介していただければとお願いにあがった次第です。またお会い して、色々御教示いただければ幸いです。相も変わらぬ「破廉恥、無節操、無責任」ぶりで失礼します。

敬 具

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